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2020.04.21

想い・こだわり

〜家と私の物語〜 私を育ててくれた“家”に恩返し

家族の、そして私たちの人生の思い出を刻んでくれるマイホームには、人それぞれ・家族それぞれに素敵な物語があります。
今日は、しらかばハウジングが心に描く「ある家の物語」をお話してみましょう。

これから家を建てる方に、そして大切な家・思い出の家がある方に…贈る物語の始まりです。

 

*登場する人物・舞台は架空のものです。

 

■窓から見る空が好きだった、あの家

物心ついた頃からおぼろげに覚えている、家にまつわる思い出は「窓」だった。

友達と喧嘩した日。
熱を出して学校を早退し、母の帰りを待つ日。

何だか心がざわついたときや、一人で物思いに耽りたいときに私が眺めていたのは、リビングに寝転ぶと、空だけを見ることができる窓だった。

天気が良く、風が強い日。
青空と空を流れる雲だけを眺めていると、まるで家が空を飛んでいるようにも見え、小一時間眺めていれば、嫌なことや悩んでいたことがなくなってしまった。
そうすると、急にお腹が空いてきて、母と祖母がワイワイとお喋りしながら夕食の支度をする台所に行き、出来上がったばかりのおかずをちょいと盗み食いしたものだった。

当時の私にとって、リビングから見える窓や、床に寝転がったときに背中に感じるひんやりとしたフローリング、そして家族が家の中で動き回る物音…。
五感に入ってくる心地よい刺激をぼんやりと感じながら過ごす時間は、今思えば多感な思春期の心のバランスを保ってくれる大切な宝物だったのかもしれない。

 

■大切な家をどうするか…

 

そんな私も、高校を卒業し、大学進学を機に実家を出ることとなった。
県外の大学に進学。そのまま東京で就職した私にとって、忙しい日々に追われていたこともあり、実家のことは時折思い出す程度だった。

地元が同じ恋人ができ、結婚して地元に帰ることになったときも、漠然と「二人でマイホームを実家の近くに建てるんだろうな」と思っていた。

ところが、父が急逝し、母が一人暮らしになったとき。
急に持ち上がったのが、親と私たち夫婦の同居話だった。

もちろん、親と一緒に暮らすことに迷いはなかったし、むしろ子育てと仕事をしながらの生活を支えてくれる母の存在はありがたかった。
でも…古い家だったため、年々母の健康が気になるようになり、段差の多い家を何とかしたいという思いも募るように。

母も「私は老人ホームにでも入るから、この家を建て替えて住めばいいじゃない」というようになったのだが、思い出がたくさん詰まったこの家を“壊す”という選択を決断できない私がいた。

 

■リフォームして、次の章がはじまった我が家

なかなか家を壊すという決断ができなかった私をみて、夫が勧めてくれたのがリフォームという選択肢だった。

「今は、古民家もリフォームして結構おしゃれに暮らせるらしいよ」
夫が言ってくれたその一言が、私の心を決めてくれた。

 

母も「家をリフォームしてみない?」と話すと「新しく建てたらいいのに…」と言いながら、何だか嬉しそうな顔をしていた気がする。

話はとんとん拍子に進み、リフォームがスタート

完成した新しい我が家は、床暖房も入り、お風呂も暖かく入れるようになった。
母の部屋も寝室も…隙間風に寒い思いをすることがなくなった。

そして…この家には、私の大切な家族の思い出がそこかしこに息づいている。

祖母の部屋にあった折りたたみ式の間仕切りは玄関に。
母が嫁入り道具で持ってきたタンスも、リビングからよく見える場所に置くことに。

 

私が小さい頃よく眺めていた、リビングから見える窓もそのままにしてもらった。

子どもたちが、これから大きくなって何かに迷ったり落ち込んだりしたときは、一緒に床に寝転んでみよう。
そして、子どもたちが、寝転んだときに何を感じるかを聞いてみたいと思う。

私が大きくなったこの家での時間。我が子にとってこの家が、どんな存在なのか、何を感じるのかを聴かせてもらうのが、これからの私のささやかな楽しみである。

 

 

しらかばハウジングでは、家族の物語が “環(めぐ)る家”のリフォームを応援しています。
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